報恩講の荘厳 

カテゴリ:行事

村の寺総代をして10年以上になります。

昨日は我が村の報恩講でしてその前日準備をしておりましたが

毎年 会堂のお仏壇にお供え物をどうやっていたか悩んでおりました。

写真を撮ったりしてたんですがどこに行ったか分からなくってしまうので

今年はブログに残しておくことにしました。

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これが正しいと言う荘厳はないと思いますが

果物の盛り方と奥のお華束に餅を祭るのはこんな感じです。

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ほんとはお華束には小さな餅をくしに刺して積み上げる月お飾りにするんですが

ものすごく手間がかかるので餅を祭っています。


さて18日はお坊さんが4人ほど来て村中の家々を回ってお参りしてもらいました。

宗祖降誕会に行ってきた 

カテゴリ:行事

最近にマイクロバスの運転をする機会が何度かあって

まだまだ現役で運転できそうだと自信がついたので

本願寺(西本願寺)で行われた宗祖親鸞聖人の降誕会(ごうたんえ)に

村のお年寄り16人と一緒にお参りしてきました。

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お天気は快晴で絶好の旅行日和 すがすがしい朝の明石大橋です

レンタカーで借りたマイクロバスにはカーナビが付いているので

毎回カーナビ頼りに出かけておりましたが、京都に入ってから動かなくなった。

全く道が分からないのに困ってしまったけど、こんなこともあろうかと

スマホの充電器(自動車用)を持って行ってたので

スマホをカーナビに使ってなんとか無事に到着。

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御影堂でご門主が御出座されての日中法要は正信偈を一緒にあげました。

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満堂の堂内ですが1月16日の御正忌の時ほどでもなかったです。


午後から渡月橋に移動 天龍寺の天井絵(八方睨みの竜)を見るつもりが

土日しか公開してないと事でお土産だけ買い物して

その後 仁和寺を見学

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さすがに世界遺産になってるだけの事はあって

庭や御所御殿は見ごたえがありました。


さて順調よく行って帰りは鳴門から徳島まで新しく高速が出来てるので

大鳴門橋を渡ってから鳴門の料金所で6740円(中型車)を払って

通行券をもらい 徳島まで1区間走っただけで3630円払った。

どうも腑に落ちないので家に帰ってから料金所に電話したら

本州四国連絡高速道路とNEXCO西日本とは料金が違ってるので

最後に通常の高速道路分をまとめて払ったので料金は合ってるとの事

納得はしたけど、今更ながら橋代が高いのを痛感しました。


今朝は田んぼの水入れに走り回ってます。

魂はあるのか 

カテゴリ:宗教

つい最近BSの放送で臨死体験や幽体離脱

それに小さい子供が全く知らない所に居たと言い出す

生まれ変わりの話などを科学的に検証していく番組がありました。

臨終の時に脳波を測定して見ると心肺停止になってからしばらくの間

脳波は細かくですが活発に変化していて死後も脳は少しの間動いている

これがたまたま蘇生すると臨死体験として蘇るそうで

ちょうど体から魂が抜けだして上から見下ろすような記憶になるようです。

また小さな子供は説明のつかない事象について行こうとして自分の事として

思い込んでしまうのを心理的に分析していくのも紹介されていました

これによって生まれ変わりの解明がされていましたよ。


昨日 お寺の互礼会がありまして行ってきました

我が檀家寺の道浄寺は浄土真宗本願寺派四州教区徳島南祖に属し

この徳島南祖は8ヵ寺が所属しており 

それが毎年1月5日に新年の挨拶を兼ねて研修会をしてるんです。

今年は大阪から清岡隆文先生を講師としてお呼びして講義して頂きました

その後 講師先生を囲んでの懇親会

研修会

その時に質問に行ったんですよ

「魂はあるのでしょうか?」率直に聞いてみました。

答えは丸とか四角とか形のあるものとしてはない

意識の世界では存在するのでしょうとの事でした。


家に帰ってさらに調べてみると

宗教によって魂の存在を認めるのとそうでないのがあるようで

キリスト教や神党でははっきりと認めていますが

仏教では前に記事にしたことがあるように

四法印の中に諸法無我と言うのがあって

前の記事の中で書いたけど 永遠不滅の魂のような「我」は無いと

お釈迦さまは話された。

では死んだら終りなのでしょうか?

死んで無になるのなら法事もしなくてよいはずです。

実は過去から現在 未来まで延々と流れていく

阿頼耶識(あらやしき)と言うものがある

ものを識別するには六つの識があって眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識

その上にもう一つ阿頼耶識が加わることになる

この阿頼耶識は今の自分の考えや行いが種となって次の自分に影響していく

それは一瞬ごとに変化しながら延々と続いていき

死んでからも影響力としての種となり面々と続いていく

それは自分が生まれる前から続いているものであって

さかのぼれば30億年前の生命の発生から続いているものである


ややこしい話を書いてしまったので公開するのが遅くなりました

1月7日に村で無縁法要が行われますので準備に追われておりました

これが終わればまた落ち着くと思います。

お寺のお稚児さん 

カテゴリ:行事

我が檀家寺の道淨寺 西本願寺の末寺ですので

浄土真宗 本願寺派 四州教区 徳島南組(みなみそ) に属します。

この徳島南組には8ヵ寺がありますが、そのお寺が毎年持ち回りで行っているのが

親鸞聖人の誕生を祝う法要があり 降誕会(ごうたんえ)と呼ばれています。

4月28日と29日に行われました。


仏壇のお華束(つきおかざり)作り 

カテゴリ:行事

月日のたつのは早いもので 前妻がなくなってこんなになるのかと思いましたが

13回忌の法事をしました。

生前からこだわってた「つきおかざり」をそのために作りましたので記事にします。


「つきおかざり」はこちらの方言で 正式には お華束(けそく)と呼ぶようです。


普通にスーパーで売ってる米粉を3袋 もち米粉を1袋買ってきて混ぜ合わせ

水を加えて練っておきます。

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適当にアンパンくらいの大きさに小分けしたものを丸めて茹でます

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6mmくらいの厚みで伸ばせるようにした台の上で薄くのばします

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これを20mmの水道のパイプを加工したものでくり抜いていきます。

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できた薄い餅を竹串をさした台の上で段々に積み上げていきます

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途中で外に広がらないように輪ゴムでとめながら積み上げていって

竹串が長過ぎたので台の少し上くらいで切りました。

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完成したのがこれ 仏壇にお祭りしてます。

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全体的にみるとこんな感じになりました。

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今ではこんな手間のかかるお祭りものを作る家庭もほとんどなくなりましたが

綺麗にお飾りで来て ほんとによい法事が出来たと思ってます。


仏教婦人会連盟総会に行ってきました。 

カテゴリ:行事

田んぼの準備はどんどん遅れていって少し焦ってますが

道浄寺の仏教婦人会から本山の総会に積んでいってほしいとの依頼があり

バスを借りてきて15名ほどと西本願寺に行ってきました。

頼まれると何を差し置いてもやってしまう性格だから仕方ない。


よく借りてるバスだから楽勝と思いきや

自分の車のキーを小物入れと思って入れた場所がエアコンの吹き出し口で

カチャンと落ち込んだらそれっきり 取れなくなってしまった。

朝5時に迎えに行ったら ドアの開閉スイッチの位置が分からず

ちょっと焦りましたね。

京都の近くになって カーナビの電源が入らなくなってしまい

またまた焦りまくり

臨機応変 全て解決して 本山に到着

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親鸞聖人が祭られている御影堂で会が行われました。

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久しぶりの本山 イチョウの木も新芽が一杯出て綺麗でしたよ。

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帰りは仁和寺の桜に寄ったりで9時半を過ぎてしまい

若干くたびれモード

晩酌もあまり飲めなかったな~。

田があれば田に悩み 

カテゴリ:み教え

久々に宗教の話です。

大無量寿経と言うお経の中に現代語訳でこんな一節があります

「田があれば田に悩み、家があれば家に悩む

田がなければ田が欲しいと悩み、家がなければ家が欲しいと悩む」

人間そんなもんで どこまで行っても幸せになれないものです。


ただ 不幸せか?と聞かれるとそうでもなさそうで

今の幸福度50%と言った具合の人が多いでしょうね。


人間は科学や文化の力でも解決の出来ないどうしようもない状況になった時

人間以上のパワーを持ったものに頼んでいき

問題が解決されたり 解決されたように感じる

これを宗教と呼ぶと考えられます。


たとえば不治の病になったり 子供が家出して行方不明になったり

そんな時 神仏に頼んでいくものです。

ただ 今の世の中 それほどまで困る事はない

そして科学の発達が 人間を超えたパワーを持つものを信じさせなくなっています。


したがって無宗教の人や宗教離れが進んできているわけです。


「田があれば田に悩み、家があれば家に悩む

田がなければ田が欲しいと悩み、家がなければ家が欲しいと悩む」 

どこまでも幸せになれない人間を救ってくれるのが仏教

仏教の目的そのものが抜苦与楽 苦を抜き 楽を与えるのですからね。


お寺の互礼会に行ってきました 

カテゴリ:行事

去年も同じ日に同じような事を書いていましたが

1年経つのは早いもので

1月5日は毎年恒例 本願寺四州教区徳島南組の

僧寺族門徒幹部研修会(互礼会)に出席してきました。


京都の龍谷大学大学院から葛野洋明先生に講演をしていただき

大変結構なお話を聞かせていただきました。


話を聞くのに夢中で 写真を撮り忘れましたが

夕方 懇親会にかなりの数の方が残られ

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美味しい料理を頂きながら 新年会と言う雰囲気で

楽しく過ごさせていただきました。

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おかげでまたまた飲み過ぎてしまい

完全に風邪にかかってしまった見たい。


昨夜は たまご酒を飲んで早くから寝ましたけど

まだすっきりとは治りません。


近所のお年寄り 普段あまり飲まないのに たまご酒3杯飲んで寝たら

次の日 風邪は治ったけど

二日酔いが続いて 3日寝込んだそうな。

諸行無常と諸法無我 

カテゴリ:み教え

いよいよ今年も終わりに近づいてきましたね。

この頃になるといつも思い出すのが 一休さんが読んだ句です。

「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」


前に一切皆苦と言う事で書いた 四法印の続きです。

諸行無常 諸法無我 一切皆苦 涅槃寂静 これが四法印です。

仏教の旗印 他の宗教と見分ける基準と言ってもよいでしょう。


諸行無常(しょぎょうむじょう) 

諸々(もろもろ)の行いは常(つね)でないと言う事です。

この世にあるすべての物は変化していく 永遠不滅の物はありません

最近のビルは鉄筋コンクリートで出来ていますが あの固いコンクリートも

100年すれば風化が進み始めるそうです。

お釈迦様は この世の物は刹那(一瞬)に変化していくと考えられました。

我々の肉体も7年もすれば全部の細胞が入れ替わるそうで 刻々と変化しています。


それがどうしたん?・・・ 次の諸法無我に導かれます


諸法無我(しょほうむが)

法というのはこの世にある全ての物の事 無我はわれがないと言う事

そんなはずないですよね

私は今ここに存在してる ここにいる私がないと言うのはどういう事ですか?

我と言うのは 永遠不滅 不変のものを我と呼びます。

私は生まれてもうすぐ60年になろうとしています。

背の高さも顔立ちも変化し続けてきました。

細胞の集合体である私です。細胞が変化すれば形も変化します。

でも私が有って この私が変化してきたと誰もが考えますが

お釈迦様は変化しない 私(我)は存在しないと言われたわけです。


たとえば今パソコンを置いてる机 100年経っても同じ姿でしょうか?

机の足を外せば 机ではなくなります。

天板と足の組み合わせで出来ている 単体では机にならない訳です。


毎年 歳をとって行く自分 その中にある変化しない魂のような私(我)

これが存在しない事に気づいていくことで我執がとれていくんですね。


だけど やっぱり理解できないんですよね

私があって この私が変化していると考えてしまう。


浄土真宗では 理解できない私に他力(仏さまからのお働き)によって

ひとりでに気づかされて行くんですね。

仏教の中では一番簡単な(易行道)他力の教えが私には合ってるような気がします。

一切皆苦と言う事 

カテゴリ:み教え

時々降る雨でのびのびになってる菜の花の種まき

焦っても天気ばかりはしょうがない

こんな時 ほんとの百姓はどう対応するのでしょうかね


ところで今日は仏教の話し

四法印と言うのがあります。

法印と言うのは 仏教の旗印 

他の宗教とはっきりと違う所を表したものです。


諸行無常 諸法無我 一切皆苦 涅槃寂静 の四つです。


この中で一切皆苦の事を少し書いてみます。

一切(いっさい)と言うのは 全てと言う意味で

皆苦(かいく)は みな くるしみ と言う意味です。

両方合わせると この世はすべて苦しみであると言うのですね。

そうかな~ 楽しい事もあるし 幸せな時もあるでしょう

ここで言う苦と言うのは 永遠に続く幸せはないと言う事です。


もともと 苦とは インドの言葉でドゥファーと言うのですが

思い通りにならない状態の事を 苦 と考えてよいでしょう。


子供が言う事を聞かない 嫁さんが思った通り動いてくれない

話しても思い通りの返事が返ってこない

天気が悪くて田んぼの作業が出来ない

これはみんな苦るしいことでしょう 腹が立ったりします。


なぜ腹が立って苦しい状態になるかと言うと

我執(がしゅう)があるからです

自分中心の考えだからです。


仏教の最終目標は 仏になる事です。

仏とは 覚者(かくしゃ)つまり 覚りを開いたものの事です。

我執を捨てきれた時 覚者になったと言えます。


雨が降ったら 雨やな~って思ったらよいのに

なんでこんな時に雨が降るんだろうって腹立ててもしょうがないでしょう

嫁さんが思い通りの返事をしなくても嫁さんの考えがあるのだから

それはそれで仕方ないでしょう


我執を完全に捨てきれないから 一切皆苦なんですね

自分を中心にした考えであると言う事に気づいていくことで

苦しみを取り除いていく事が出来る (抜苦与楽)

これを教えてくれているのが 一切皆苦 だと思うのですが・・・


仏様は男か女か 

カテゴリ:み教え

またまたややこしい事を書いてます。

家の仏壇やお寺の仏像を見て 考えた事ないですか?

仏様は 男か 女か?


答えは 男でも女でもありません

ニューハーフでもありません


各家庭でもお寺でも仏壇の前に座ると

須弥壇と言って仏様が安置されてる場所が

ちょうど頭の高さになるようになってます。

つまり 仏さまの足元に頭をこすりつけてるようなものです

それほど 尊いと言う事ですね。

つまり 人間の延長ではないと言う事ですよ。


仏さまのほんとの姿は 

色もなく形もなく名前もないのです


では 何なんですか?


ピタゴラスの法則と言うのがありますね

直角三角形の斜辺の長さは 

他の2辺の二乗を足したものの平方根である

だったですね


この法則は 地球上どこに行っても同じです

宇宙の果てでも同じでしょう

また 百万年前も百万年後もおなじでしょう

ピタゴラスが発明したのでなく 発見したものです


お釈迦さまが発見された 法(ダルマ 真理)が

法身仏と言われるもの

つまり 法 そのものが仏さまのほんとの姿なんです。


色もなく形もなく名前もない 法身仏

我々には理解しがたいです

それで形になって現れたのが 報身仏と言って

あの仏像なんです。


だから 男でも女でもないんですね。






京都に行ってきました 

カテゴリ:行事

今年の4月から西本願寺で始まっている

親鸞聖人750回忌大恩忌法要にお参りしてきました。

私の所属寺 道浄寺から大型バス3台で団体参拝です。



絶体絶命の話し 

カテゴリ:み教え

農閑期に入ってきて少し余裕が出来てきました

またちょこっとづつ仏教の話も書いていきます。


昔 インドのある国では犯罪者を死刑にする時

ゾウに踏み殺させていたんです。

このゾウが逃げ出したんですね

草原を一人の旅人が歩いていましたが

逃げ出したゾウに物凄い勢いで追いかけられました。

人間を踏み殺すように仕込まれてるから大変です。

草原だから隠れるところもなく ひたすら走ってると

古井戸なのか穴があいているのを見つけました。

穴の入口から藤のツルが下に垂れています

これをつたって下へ逃げ込みました。

これで一安心だと思って横を見ると

4匹の毒蛇が舌を出しながらこちらを狙っています。

もっと下へ逃げようと穴の底を見ると

大きな大蛇が口を開いて待っています。

これはだめだと思って上をみると

先ほどのゾウが足踏みしながら牙を振っています。

そして藤ヅルを白と黒の2匹のネズミがかじってるんです。

もうあかん 絶体絶命

その時 藤ヅルの根元に蜜蜂の巣がありまして

そこから蜜が落ちてきて 旅人の口に入ったんです。

その甘さに恐怖も忘れてもっと飲みたいと思ったとか


これが今の人間の姿なんですよ

旅人は    自分自身

ゾウは    毎日過ぎてゆく時間

井戸は    人生

藤ヅルは   命

大蛇は    死の世界

4匹の毒蛇は 肉体を構成する要素(地 水 火 風)

白黒のネズミ 昼と夜

蜜      欲望 よこしまな思い


これらを表しています。

考えてみれば人は何年先か何十年先かは分かりませんけど

みんな必ず死んでいくのですから 絶体絶命の運命なのです 


でも今の欲望を満たそうとしている

生活 家族 人づきあい お金 etc

それらの事に一喜一憂して人生を送っています。


もっと根本的な事に気づかされるお話でした。

徳島県仏教婦人会総会に行ってきました 

カテゴリ:行事

女性でもないのになぜ仏教婦人会かって?

徳島県全体の総会を南組でやるようになり

我がお寺の道浄寺の婦人会が総代さんに

助っ人を求めてきたのでお手伝いすることになりました。


阿南市民会館で開催されたのですが

バス乗用車ともすごい数で駐車場の整理です。

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私はマイクロバスをレンタルしてきて各村からの送り迎えをしました。

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県内だけにしては予想以上に多い参加者です

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会場内では 献花献灯が薄暗がりの中で厳粛に行われていました

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焼香が行われ

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挨拶の後 本願寺勧学の中西智海先生の講演があり

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その間に弁当の準備で大忙し

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午後からも講演があり 会が終わったらマイクロバスで送りました。

一日経つのが早かったですね。



仏教と稲作 

カテゴリ:み教え

田んぼの横で合掌したら豊作になった

なんて話じゃないんですよ。


明治時代の話しですが 京都の大学の教授を集めて

研修会が行われた時の事です。

講師に禅宗の高僧が呼ばれたそうで、その時のお話です。


このお坊さん えらい教授たちに質問しました。

「大きな池があります。そこで二人の女性が溺れています。

一人は自分の母親 もう一人は自分の嫁です。

さて あなたならどちらから助けますか?」


当ブログ読者の方 どちらを助けます?


さあ、会場はどよめきました。

近代的な考えの教授は 嫁を助けると言い

古風な考えの人は母親を助けると言い

答えはいつまでたっても出てこないので

逆に お坊さんに向かって あなたはどんな考えですか?

って質問したんですね。


そしたら このお坊さん このように答えました。


「私なら 近いほうから助けます」  ってね。


仏教の教えの根底にあるのは 我執を捨てる事です。

この場合 どちらが自分にとって大事であるかとか

必要であるかなんて事じゃなく 

助けやすいほうから 助ける 当たり前の事だけど

気づいてない事が多いんですね。


この自己中心的な考えを捨てていくと

イネ作りでも ほんとの稲の気持ちが分かってくると思います。

天気が悪い 肥料が悪い 機械が悪い

自分以外に原因を押し付けないで 根本的に稲のレスポンスを見ながら

進めていけるようになりたいものですね。

唐獅子牡丹の話 

カテゴリ:み教え

今日は農業を離れてありがたい話

年末 深夜番組で映画は見ますか?

任侠映画 背中で泣いてる唐獅子牡丹 なんて見てないですかね・・


唐獅子牡丹 実は我々浄土真宗の本山 本願寺に有ったんです。

阿弥陀様の祭られてる須弥壇を支えている動物の彫り物に

唐獅子が彫られています。

唐の時代に中国から伝わったので唐獅子と呼ばれていますが

実はライオンの事です。


牡丹は本願寺の欄間にずらりと彫られています。

なぜ お寺に唐獅子牡丹なんでしょう・・?


百獣の王ライオンは自分より強い動物が居ないので殺される事がないはず

でも 一つだけあったんです。

それは 腹の中に居る虫によって中から食い殺されて行くんですね。

獅子身中の虫 こんなことわざを聞いたことありませんか?

信頼していたものから裏切られる事です。


この腹の中の虫を退治するただひとつの解毒剤が牡丹です。

牡丹の下で寝てしずくを浴びたり牡丹の花を食べたりして

虫を駆除してたんですね。


では お寺の唐獅子牡丹はどういう意味でしょう

百獣の王ライオンよりも強いのが人間です

人間も腹の中から食い殺される事があるんです。

それは 煩悩という虫の依ってです。

この煩悩を消すことができるただ一つの解毒剤

それが仏教(我々の所では南無阿弥陀仏)だったんですね。


来月 1月12日に本山にお参りする予定ですので

はっきりとこの目で確かめてきます。





腹の立つときゃ 

カテゴリ:み教え

今回は宗教の話です。

だいぶ前にお寺の研修会でいただいた小冊子に

「腹の立つときゃ」という題名のがありました。


この中に 因幡の源左さんの話が出てきます。

今年の春に村の人を連れて鳥取までお参りに行ってきました。

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この源左さんは 篤信の浄土真宗の信者で妙好人と呼ばれています。


本の中に出てくる源佐さんの話を思い出して書いてみます。


鳥取県青谷町に住んでおられましたが ある日の事

村で久しぶりに一杯会をやろうと言う話が持ち上がりました。

飲み会をやるのは賛成だけど 酒の肴はイワシでも焼こうと言う事になり

誰が焼くかとなると だれも自分からやると言う人がなかったんですね。

それで人のいい源左さんに頼むことになり 二つ返事で引き受けてくれたそうです。


朝から源左さんがイワシと焼いていると 気になる人が見に来たそうで

「源左さん イワシと言えども魚には違いない オカシラ付きで焼いて下さいよ」

一人の人が言うと はいはい分かりました。

もう一人来て 「イワシは頭があると食べにくいので 頭を取って焼いて下さいよ」

この人にも 源左さんは はいはい分かりましたと答えたそうで。


さて 夕方 村人が集まり一杯会がはじまりました

皿の上には 2匹のイワシが乗っています

一つは頭があって もうひとつは頭なしです。

これを見てみんな話が盛り上がり 楽しく飲み会が出来たそうです。


普通の人だと 「人に魚を焼かせておいて 焼き方まで指図する」

って腹が立つものです。

別にイワシに頭があってもなかってもどうという事もないのに

人に言われると腹が立つものです。

 
他力の信心に目覚めた人は ここが違うんですね。

自己中心的考え方 中途半端なプライド これがなくなって行くほど

腹が立つのもおさまって 楽しい人生が送れそうです。

親鸞聖人750回忌お待ち受け法要に行ってきまた 

カテゴリ:行事

田んぼブログに突然の宗教の話題で申し訳なしです。


実は村の寺総代に任命されて5年近くなり、行事のたびに

お寺に行っております。


我が家のお寺は浄土真宗本願寺派の末寺 道浄寺です。

来年 本山の本願寺(西本願寺)で行われます

親鸞聖人750回忌を意識してもらうための法要で

四州教区徳島南組の会所(えしょ)となりました。

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午後1時半からの予定ですが 朝の10時からお手伝いに行き

本堂の幕張から受け付け駐車場の整理まで総代さんでこなしました。

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150人以上の参拝者の元 荘厳におつとめがあげられ

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3時過ぎから九州から来ていただいた布教しによる

節談説教がありました。

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ときどきお説教は聞きに行ってましたが 今日のお説教はものすごくよかったです。

最後に寺の住職から挨拶があり

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充実した素晴らしい催しになったと思います。



酒を飲むと田んぼの話か宗教の話しかしない管理人の一面でした。


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